嵯峨野 とは何ぞや。どこやねん。そんな疑問にお答えします。
竹林の小径を抜けたらそこは「嵯峨野」になる。嵐山の賑わいは嘘のように落ち着いて、まるで風が吹き抜けたような清々しさを感じる。ここ嵯峨野は嵯峨上皇の愛した清涼の地。当時から都からは遠い西の端。都市域と連続しておらず鄙びた田園地があった。しかし、日本に多くの技術を持ち込んだ秦氏一族の拠点とした地域でもあり、当時の朝廷とも所縁がないとも言えない。そのためか平安初期頃から狩場として、または引退した貴族たちの隠棲地となっていた。
そして、嵯峨上皇がこの地に隠居所である「嵯峨院」を建てた。のちの大覚寺だ。このあたりから「嵯峨」は歴史の表舞台にやおら頭を上げ始める。司馬遼太郎はこの地を“歴史的な嵯峨には田舎臭さがない。平安初期から貴族たちが(中略)古今、新古今の美学でこの田園をみがきつづけた”としている。空海と親しかった名筆家 嵯峨上皇はまだ親王だった時代に嵯峨に山荘を営んでいる。
今も嵯峨はどことなく気品が感じられる。農村としての落ち着きとは違う緊張感がうかがえるのだ。そして、「嵯峨野」にはたくさんの寺院がある。年代もばらばらで、その成り立ちも様々。大きなお寺に小さなお堂。どこも重厚な静けさを感じる。最初、違いも分からず見てきた。ある日、妻とふたりで清凉寺に行った。静かな平日。雲の多い少し不安になるような空模様。庭を見てから本堂に入る。
「・・・静かだね」と妻。私もそう思った。収蔵品も素晴らしくちょっとした博物館のよう。その日は人ごみに急かされることもなく、ゆっくりとお寺で「過ごすことができた」。以来、お寺に行く目的が少し変わった。観光や写真のことは一度忘れて、ただただその時間を楽しもう。そう思うようになった。清凉寺は嵯峨野の入り口にあるお寺。ここから先は貴族達が隠れ、愛でた清涼の地。
さあ、嵯峨野に隠れてみよう。
・清涼寺・
・二尊院・
・常寂光寺・
・落柿舎・
・化野念仏寺・
・愛宕念仏寺・