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あとがきホーム嵐山嵐山・嵯峨野洛西

その1:渡月橋 のあとがき

渡月橋 のあとがき:おまえってやつは。マジできつかったよ「たかが橋やんけ」なんて言ってゴメンな。歴史の塊やんけ。サイト立上げたばかりだったし「簡単そう♪」なんて思ったら大間違いだったわ。渡月橋はただの橋だから何か隠されてるとかはない。

 

あとがき

 おまえってやつは。マジできつかったよ「たかが橋やんけ」なんて言ってゴメンな。歴史の塊やんけ。サイト立上げたばかりだったし「簡単そう♪」なんて思ったら大間違いだったわ。

 渡月橋はただの橋だから何か隠されてるとかはない。でも何かないかとその辺を語ろうすると、とんでもないパンドラの箱を開けることになる。文章に起こすのがもう大変だったけど、でもあったよ。箱の底に小さな希望が。さあ、うら記事はざっくり行くよ~。

※本記事よりも旅の参考記事多数です!※

   

↓本記事はこちら↓

    

1. 名前3つもあんねんな。

 

これが「大きな堰(せき)」。大堰川の由来はこれになるよー。

 記事では「桂川」で名称をだいたい統一しておいたけど、実はね。わざと曖昧に使った部分もありました。本来あの川は短い距離の間に名前が3つもあるんです。

 上流から順に保津川、大堰川、そして桂川の3つ。それぞれ簡単に説明を付けるとこんな感じ。

  1. 「保津川」は保津峡を流れて嵯峨嵐山にたどり着くまで。
  2. 「大堰川」は短くて福田美術館の前ぐらいの範囲。
  3. 「桂川」は渡月橋を境にして、その下流から全部が桂川。

 保津川は「保津川下り」で有名。これ以外と知られてないんじゃないかと思うのです。嵐山でスリルと保津峡谷の絶景を楽しむ舟下りができるなんて思わないでしょ。できるんです‼

 大堰川はこれは現地で見てもらいところでもあるんだけど、渡月橋から上流のほうを眺めると「大きな堰」があるんです。これが大堰川の由来。この堰の役割は保津川からの速い流れを一旦、堰き止めて緩やかにするのと、「曝気」と言って水をじゃぶじゃぶ泡立てて綺麗にする事の2つ。

 

この春から夏の午後4時ころの西日の色がほんまに好き。

 しかも、大堰川は嵐山の川遊びの中心だね。温かい時期は「レンタルボート」もやってるし、「屋形船」で保津川を遡って、ゆったり峡谷観光ができます。あと同じ屋形船の会社で夏は「鵜飼い屋形船」もやってるからお薦め。

 

 桂川はね。川幅広いです。水深浅め。普段はこんな川幅いる?って思うんだけど大雨降ったらもう大変。満水になってしまう。川大きくてよかったと思う。それと桂川のおかげで流域の田畑がとても潤ってます。住民的にはほんまにありがたいよね。ありがとうございます。

   

2.「実は車も通れます」

 

桜が咲いてるんだけど、嵐山はまだ芽吹く前なんだよ。

 歳かさの先輩に住んでるとこ聞かれて「嵐山の近くですわ~」と言うと、「昔オレのツレがな。車スピンさしよって渡月橋から落ちよったん」という同じ話を少なくとも3人から聞いたことがある。欄干も折ったらしい。その痕跡は今はもう分からない。

 さてと。渡月橋はかなり低い。渡月橋の1つ下流の橋は松尾大社に対して架かる橋なんだけど。これの半分以下の高さではないかと思うほどに低い。昔々はもっともっと低かった。しかも、保津川の急流の出口のような場所にあったので、よく流された。

 

根性の1枚。無理やり撮った紅葉の渡月橋。

 なんでこんなに大水に弱い低い橋がずーっと残ったのかというと嵐山が千年の間、人々に親しまれてきたから。これに尽きる。嵐山は古くは京都の西北一円を拠りどころとした秦氏が開発した土地。秦氏は広隆寺も開いている。前述の松尾大社も秦氏が建立している。その後、嵐山というか。嵯峨野好きの天皇が出た。嵯峨天皇だ。この天皇から渡月橋の名付け親である亀山天皇に至るまでいわゆる名勝「嵐山」の基礎が出来上がる。

 嵐山に吉野から桜を数百株持ち込ませのは嵯峨天皇の頃であったし、その後に続く天龍寺を開創した禅僧 夢窓国師は同じく吉野からこれまた桜を数千本を移植した。江戸時代にかけては主に天龍寺が嵐山と渡月橋の運営を担っていた。

 

 現在の渡月橋は江戸時代に角倉了以が保津川の開削時に架け直した位置にある。角倉了以は当時の豪商で、偉大な経営者であった人。嵐山では二尊院大悲閣が角倉了以に由来がある。ちなみに角倉了以の息子のお墓は化野念仏寺の隅にひっそりとある。

 そして現在の渡月橋は見た目は木像だけど鉄筋コンクリート造の橋。名勝としての調和を守るため欄干には尾州ヒノキを用いて、桁隠しも設けられた至れり尽くせりの橋。これで橋の丈夫さと木橋の趣を残すいい塩梅の橋ができた。

 

3.電車が便利だよ!

 

これはー、嵐電やね。レトロな車両が旅の満足感に貢献します。

 渡月橋に行くには鉄道が便利です。なんせ嵐山には鉄道会社が3社も乗り入れてるから。南から阪急電鉄と嵐電とJR。

  1. 阪急電鉄 嵐山線「嵐山駅
  2. 京福電気鉄道(通称 嵐電) 嵐山本線 「嵐山駅」
  3. JR山陰本線「嵯峨嵐山駅」

 阪急嵐山駅からだと渡月橋を見つけられるまで5、6分。でも「嵐山公園」を通るからやっぱり15分。途中にお店があって、つい寄っちゃう。嵐山公園は「中の島」といって、大きな中洲を整備して公園にした場所。中洲へ渡る小さな橋を渡る。。渡ったら空が開けて渡月橋が見えます。

 

福田美術館からの撮った大堰川。

 嵐電からなら歩いて5分くらい。嵐電からだと嵐山のど真中に出られるし、駅も雰囲気あるから観光的には持ってこいの移動手段よね。

 JR嵯峨野嵐山駅からだと結構、歩く。たぶん20分くらい。カップルなら30分。途中、コロッケ屋さんがあって結構有名みたい。嵐山まで遠いんだけどお土産屋さんもちょいちょいあって、つい寄っちゃうんだよね。嵐山に着いたら、もっといっぱいお店があるのに…。

   

4.「 渡月橋 」の渡り方

 

雪化粧とはこういうのを言うのだろうか。

 はてさて渡月橋にはさんざん振り回されたけども、私が皆さんを振り回したとこもあります。嵐山を嵯峨と言ったり、そのまま嵐山と言ったり、亀山っていうのもちょっと混ぜてます。川の名前に関しては前述のとおり。

 なぜわざとしたそうしたかというと、違和感をもってほしかったから。そして、全部、事実でもあります。情報がどばどばの世の中で読んだつもりが意外と肝心なところを見落とていたり、前提をすり替えられたのことに気づかなかったりするから、わざとそうすることで読みごたえに変えたかった。

 

これはライトアップやってた時の中洲の公園。もはや嵐山感は皆無。

 厳しいでしょ。でもそうすることで観察力も付くし、現地に行った時に知識じゃなくて、「知恵」という形で必ずあなたに還すことができる。

 内容もなんか少し気になるな~ってところも、あえてそのままにしておいてる。最近の情報は記事中でも書いたけど、基本コピペなのね。コピーのコピーのコピーだらけで、もうマモー(ルパン三世に登場)も真っ青よね。(あ。マモーはもともと真っ青だね

 

南側のこのボート置き場が絵になる。ちなみにこれは大悲閣帰りの朝日の一枚。

 兎に角、本記事でも書いたけど「行って見て」きたらいいと思う。渡月橋に関しては「行ったら何があるんだろう?」ではなく、渡月橋を実際に渡って見て「教科書の偉い人もこの景色見てはんねんな~」って思えたら、旅はなお一層楽しいものになるよね。

   

  

↓本記事はこちら↓