芭蕉も滞在した名庵
「らくししゃ」と読む。「らくがきしゃ」ではない。今回は写真がない。嵯峨野散策のついでに寄った。無教養とは恐ろしいもので妻と2人で「落書舎だってー」とアホ丸出しで見学してきた覚えがある。
入観料を払うと職員さんから「よろしければ一句どうぞ」とすすめられた。何のことか分からず、「そうゆう催し物なのね」と聞きつつ遠慮した。
開き直るようだが、写真が1枚もないのは無学のあかしだけど、分からい知らないことは放っておくに限る。だが、今回はちょっとだけ悔しい。
まさかあの松尾芭蕉が庵住していたとは、しかも滞在中に「嵯峨日記」なるものを著していた。「奥のほそみち」だけだと思っていたら、いろいろあった日記のひとつがここ落柿舎で遺されていた。
元禄の俳人 向井去来
懺悔ついでに説明するが、ここは元禄の俳人向井去来の遺跡だそうだ。去来は芭蕉の高弟であり、芭蕉からの信頼も厚かったという。
俳諧人には有名な場所であるらしかった。そんな由緒ある草庵で無学をさらけ出してきた。
私たち夫婦は仙台から上京している。松島では「松島やああ松島や松島や」という一見、芭蕉らしからぬ、控えめに言っても間抜けた俳句には一応、お世話になっている県民である。
だから次に行ったとき、職員さんに一句すすめられたらこう書こう。
「嵐山やああ嵐山や嵐山」
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